インドの首都、デリーに長居する旅人は、そう多くない。
インド門。フマーユン廊。ラールキラー。。見所が少ない訳ではない。
しかし近郊にはタージマハルで有名なアーグラーがあり、その先にはガンジス川ほとりの街バラナシがあり、とにかく国土が広く見所の多いインドの中では、ニューデリーをさっさと出て行ってしまう旅人が多いのだ。
それよりもなによりも、デリーには油断のならないインド人が多いことが原因だろう。
インドの玄関口であるデリーには、多くの【インド初心者】が降り立つ。
今日も鴨がネギをしょって来たぞと。明らかな悪意をもって近づいてくる人間のなんと多い事か。すりや置き引き。恐喝まがいのぼったくり。監禁して高額なツアーを強要。あげくの果てには睡眠薬強盗などなど。。
インドを嫌いになる要素がてんこ盛りなのだ。
ならばと純粋な子供達とたわむれてみても、お金お金と詰め寄られて暗い気持ちになる。写真の少女の眼光の鋭さには、一瞬たじろぐものがあった。
それでもこの街に私が長く滞在したのは、人々から生きて行く活力、と言うか執念のようなものを感じたからだ。
今日食べる物のために必死になる。その感覚は少なくとも私の人生にはないものだった。
当時の私は、デリーの街中を歩き回りながら、いったい何を考えていたのだろう?
右手でカレーを食べて、インド人しかいないチャイ屋に毎日通って、客引きと喧嘩をして、時々お腹を下しながら、私が見ていた物はほんとうの風景だったのか、己の心象風景だったのか。
デリーでは、迷わずに生きる人々を観察し続けた。
私は両親の与えてくれた豊かさの上で、迷っていたからだ。
自分の為、家族の為、飢えぬようにひたすら必死に生きる事。
今になってみると、デリーで見つけた答えが一番しっくりくる。