インドの首都ニューデリー。
各国の旅人が集まるメインバザールの中程に、私の宿はあった。
そこはシーク教徒のご夫婦が営む宿で、一晩500円程で泊まる事ができた。
部屋は簡素だが、どこかしら安心感があった。ママとパパが、いつも旅人の事を気遣ってくれていたからだ。
最近はネットのクチコミ社会になって、ちょっとうんざりする。
もしも部屋が汚れていたのなら、目の前にいる掃除のおじさんに一声かければ良いだけの話。あるいは、自分で軽く掃除して、より快適な空間を自分で作れば良かった。
バックパッカーなんてそんなもんだ。
私は部屋の窓からストリートを眺めるのが好きだった。そこには行き交う人々とリキシャーがあって、喧嘩があって、盗みがあって、大きな笑い声があって、ありとあらゆる騒がしさがあった。。
窓の外に目を向けていると、不意に宿の中庭から子供達の声が響いてくる。
私は滅多に取り出さないカメラを彼らに向ける。子供と老人はいつも、旅人に優しい。
私が京都で経営する宿は、ニューデリーで泊まった宿よりも間違いなく清潔だ。安全で空調も完備されていて、夜はとても静かだ。
でもノースキーにはないものが、この宿には詰まっていた。
それを人間模様と言っても良いし、単純に、ドラマチックだと言っても良いと思う。
宿は、街から隔離された空間ではなく、ニューデリーという渦潮の中で、ゆらゆらと漂う木の葉のようだった。
だから私は、寝ても覚めてもニューデリーにいる事を実感することが出来た。
いつも旅に出ている事を実感していた。
清潔で便利な宿ではなく、そんな宿を本当は作りたかったのかもしれない。