旅は、若かった自分に色々な価値観を与えてくれたと思う。
美しい景色の中で、穏やかな生活を送る人々を見るたびに、自分にとって何が大切なのか考えたし、世の中には様々な、私の想像の中にまったく無かった生き方や、職業が存在する事を知った。
でも一番考えさせられたのは、戦争や内戦など、暴力がすぐそこに潜んでいる場所での暮らしを見た時だ。
死に対する距離が、日本とは比べものにならないくらい近い場所が、世界には沢山ある。
私たちは普段、日本という国で暮らしていて、死を意識する瞬間はあまり無いように思う。
仕事が億劫だったり、預金の残高が気になったり、人間関係に悩んだりするのも、全て、当然明日も生きているだろう、という安心の上に成り立つ悩みだったりする。
一番大切な人に、とても酷い事を言ってしまった。それも、いつか訪れる大切な人との死別を思えば、もっと優しくなれるかもしれない。
大切なものを、大切に。当たり前の事ですが、とても難しい事です。死から逆算して今を生きる事を、死生観と言えば良いのだろうか?
たとえここが戦場でなくても、病気や事故など、ぱっといなくなってしまうのが人の人生で、その瞬間には誰もが、まさか、と思うのだろう。
明日、私がもしも豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまったら、ホステルノースキーをしばらくの間、無料で開放して欲しい。
馬鹿みたいに明るい遺影をリビングに飾って、大きな音で音楽を鳴らして、メキシコの死者の日のように(*ハロウィンのようなお祭りです)、出来るだけ明るい花々と、ポップなガイコツの置物で埋め尽くして欲しい。
家族と友人と、ノースキーに泊まった事のある方々で、私の人生を笑ってくれたら嬉しい。